阿武郡 須佐町 弥富
弥富は田万川上流部の裏須佐である。私は当分の間、そのあたりを田万川町の一部と思い込んでいた。須佐は日本海沿いの町、田万川町は田万川流域の町という先入観がそうさせていた。
弥富の地名は、和泉式部にまつわる伝説からだともいう。「この土地のある老夫婦が、京の都で拾い育ててきた女の子は、実は和泉式部とその情人との間にできた子であって、余儀ない事情からお守りにと、観音像を添えて東山の黒谷あたりに捨てたものとわかった。訪ねてきた式部に、七才になる女の子を返してやった老夫婦は金銀の返礼を受けていよいよ富貴になった。」『長門周防の伝説』
この弥富は畳ヶ浦と道栄の滝という二つの観光対象をもっている。前者は弥富下にあって、六角形の座布団大の敷石を敷き詰めたような大野川の川床を指している。同じ玄武岩で川の両岸の壁もできていて、こちらは材木を立てかけたような外観である。つまりこの岩体は大きな鉛筆をたくさん並べたようになっていて、その成因は、溶岩が冷えて固まる際、規則正しいひび割れを生じたことによる。
このあたりはかなり広域の火山性の地で、今は原型を失った古いカルデラ跡なのだそうだ。そして畳ヶ浦はその中心部に近く、道栄の滝の方は西南端に位置する。
滝の特徴は、湧水が豊かであることと、行者の修行地であったことである。久瀬原の溶岩台地の地下水が、滝の上手で突如地表に現れ、途中の崖を駆け降り及谷川に合流する。必然的に水質は抜群、そのままで弥富の人々の上水に供せられる。
道路脇の、草に隠れた小さな案内板には、高さ70㍍とあったので、額面通りなら県下一と思って、実測を試みたが、マムシと遭遇したので遠慮した。私の目測では落差40㍍とみた。
滝は比較的最近までは正面から落下していたそうだが、今は一度横にそええ「く」の字型の斜滝になっている。滝はこのように年月とともに位置を変えるものらしい。
行者の修行のための宿坊は、今では原型を留めないほどの廃屋と化している。
